「メイゼル・アンティアンソン」そのいち

01: 神速の一閃、メイゼル・アンティアンソン

時は19世紀末。
アンフェルの街を震撼させた謎の男。
ヤツの右手に握られたナイフは、夜が来る度に、若い女の生き血を求め――

「ちょっと今晩はでーす」

「なっ、なんだッ!!???」
――黒い人影は立ち止まった。
その行く手を、何者かに遮られて。
「まあ、そんなカンジです」
「はぁ!!???」
声からすると、この暗い夜道で男の行く手を遮ったのは、まだ10代も中頃の少女らしい。
「はい、だいたいそんなモノです。まだ私16歳にはなってないですから」
声は誰に頼まれもしていないのに自分の身の上を語る。
間もなく暗闇に目が慣れてきて、お互いに姿形を確認できるようになる。
「……こんな夜更けにどうしましたか、お嬢さん?」
男はとりあえず、自分の目の前にいる小柄な少女にそう尋ねる。
職業柄、10代から20代の女性に相対する態度は分け隔てなく紳士的であれと心掛けている。
「はい、割とどーもしてないです」
「………………はぁ;」
どうしたのかと尋ねてどうもしていないと返ってきた。どうしたものかと男は思う。
「はい、ソレであこのへんでいちおー自己紹介しときますね。申し遅れましたけど、私の名前はメイゼル・アンティアンソンといいます。さっきも言いました通り、今はまだ15歳で、このアンフェルの街にある国立の魔術学校に通ってます」
「……そ、そうですか;;」
頼んでもいないのに一方的な自己紹介を始めた少女に、男は困惑する。
夜道で遭遇した女性に突然の自己紹介をされた経験など彼にはない。
そもそもいつもは自己紹介する間さえ与えていない、というのはさて置き。
「しかしこのアンフェルって街、フルネームは超フザケたコトに『アンフェルヴィレッジ』って言うんですよねー。ヴィレッジったら村ですよ『村』!JヴィレッジっつったらJ村ですよね?ソレと同じコトですよ。なんですけど、この『アンフェルヴィレッジ』、困ったコトにこの国の首都だったりするんですよ。バカにしてますよね。首都なのに名前が『村』だなんて――」
「あの……ちょっと???」
一方的に言い続ける少女がいつの間にか自分にすっかり背を向けていたコトで、男はますます困惑を深める。
「だ、誰に言ってるんですか?」
少なくとも、この暗い裏通りには彼と少女の2人しか人間はいない。
だったら一体誰に、と疑問に思った彼は律儀にそのコトも尋ねてしまう。
訳が分かろうが分かるまいが、10代から20代の女性に対しては、分け隔てなく紳士的に。
そんな彼の質問に対して、少女は再び彼の方に向き直って、少し楽しそうに答えるのだ。
「そーですねえ、なんつってもせっかくの第1話ですからねっ、読者の皆さんとかそのへんに」
「どっ……読者???」
一体何のコトだか全く話が通らない。
しかし、話が通ろうが通るまいが、10代から20代の女性に対しては、分け隔てなく紳士的に。
「作家か何か、文芸のお仕事をご志望なのですか?」
このセリフで話がつながるだろうかと多大な不安を抱えながら、とりあえず尋ねてみる。
「いえ、初対面の方に対しましては当然の礼儀だと思いますから。っつーかアンタこそ名乗れ」
「……なっ……!?」
礼儀と言った矢先から、少女の口調が一転して強圧的になる。
コレでは言ってる本人こそ礼儀も何もあったモノじゃない。
(……おっ、落ち着けJ. J。私は試されている、今私は神に試されているのだ!この一種理不尽な少女そのものにではなく、私の元にこの少女を遣わしたであろう神の手によって!)
不完全なる偶像として不完全なる人間の手で描くコトを宗教上の戒律として禁じられている神の御姿を、彼は脳裏に思い描く。当然ながらその彼の心理に描かれる神の虚像もまた不完全だ。
しかし彼は、そんな不完全な存在を代表する1人の人間として、1つの決断を下そうとする。
(……そう、言ってるコトの内容がかなりアレなのはさて置き、この少女こそはまさしく『見目麗しき』という形容が相応しい。そうか、神よ、今宵はこの少女を――)
相手をアレ呼ばわりしておきながらそんな相手にマトモにお付き合いしようとしている彼の方も十分アレなのはさて置き、そんなアレな少女を視界の中央に見据えて、アレな彼は右手に握り締めた銀色に光るナイフに力を込めて――斬り掛かる!
「どうやら今宵の獲物は貴女のようですね、長い黒髪のお嬢さん!!!」
満月と新月の夜毎にそうしているように、今日も男はニヤリと不気味に微笑む。
2mか3mに満たない少女との間合いを持ち前の俊足で一気に詰めて、ほんの小さく振り上げた右手を――
「なんですかアナタ危ないですねえ」
「なっ……!!???」
――振り下ろした瞬間、ドコかのんびりした声だけを残して、少女の姿が消えた。
「何処だっ!?何処に消えたッ!!???」
思わず慌てて周辺を見回す。
しかし、つい寸前までこの場にいたハズの少女の姿は、今やドコにも無く――
「ドコ見てやがんだノロマ野郎ってカンジです」
「何ッ!!???」
左手側を向いた瞬間に右手側から声がして慌てて向き直ろうとした瞬間、男は既に右肘を内側から外側に向けて捻られ、抑えられていた。コレでは肘から先に力が入らない!
しかも同時に、彼の右腕を制圧する少女の細い右腕の下方から、恐ろしいほどの速さで彼女の右膝が持ち上がってくるのが見える。その右膝の向かう先は、ナイフを振り下ろす動作の流れで普段よりも低い位置に落ちていた、彼の顔面――!!
「べぎゃ!!!!!」
膝蹴りというのはその振りの速さに相応の威力を確実に発揮する。
左眼と鼻先の丁度中間辺りをその膝で蹴られ、男は痛切な悲鳴を上げた。
その辺りの骨も、バキッ、とか、ピシッ、とか、衝撃に屈して断末魔を上げた。
「コレで正当防衛成立でーす」
歌うように脳天気な少女の声が、夜の裏通りに舞う。
反対に長身の男は地面に崩れ落ちる。
「ひッ……、ひぶほまにッ……!?」
ほとんど呂律の回らなくなった口調で問い掛ける男の声に対し、少女はかなり得意げ、自慢げに勝ち誇ってみせた。
「どぉですか通り魔さん?私の魔術の威力はっ???」
魔術でも何でもない攻撃で相手を沈めておきながら魔術の威力がどうだとか問われても、
「みゃっ、みゃぢゅちゅれもなんれもなっ……がくっ」
何も答え様がないまま、男は完全に崩れ落ちた。
膝蹴りの衝撃力が脳を揺らし、意識を飛ばしたのだろう。
「ったく、アナタ如きが私にナイフで斬り掛かろーなんて、10万年早いんですよっ。10万と1年経ってたら、ちょっと分かんなかったですけどね」
その10万年目と10万1年目の間にドレほどの違いが生じるコトを少女が予期しているのかは察する術もないが、ただ1つ言えるコトは、10万年後でも10万1年後でもなく、今、この瞬間に、長身の通り魔の男が小柄なこの少女に「膝蹴り1発」で仕留められたという事実だ。
少女が路上に立ち、男が路面に伏している、その光景だけがこの事実を物語る。
「……となると、10万と2年目にはまた私が確実に勝てるよーに、もっと修業しなくちゃですね」
そう言うと、神妙な面持ちで少女は天を仰いだ。
狭い通りの上の空は両脇に迫った建物に削り取られて、同様に狭くしか見えない。
「首都なのに『村』か……やっぱりフザケてます」
その一言だけを残して、少女は通りの先へと歩き出した。




「連続切り裂き魔『ジャッキー・ジャックソン』、とうとう逮捕される……か」
1ラウンド開始2秒、右の膝蹴りが顔面に炸裂してテクニカル・ノックアウト。
そんな何のコトだか訳が分からない見出し(この国の、特にこの街の新聞では毎度のコトだ)に続く記事にゆっくりと目を通しながら、エフィサ・ラーウェンスはその1文だけを読み上げた。
その記事の後半、1人の少女の写真の脇に、「お手柄の魔術師少女」と書かれている。
ドコか淡々としたその少女が穏やかに微笑む表情をみていると、エフィサはなんだか、自分まで誇らしく思えてきてしまう――
「ホントに素敵よね、メイゼルはっ♪」
傍らに置かれた珈琲のカップから立ち昇る湯気が、仄かな香りをエフィサの元へと運ぶ。
その香りが尚更、上機嫌なエフィサの胸を昂ぶらせる。
「……ってーか、そのメイゼルったらまた今日もお寝坊さんなのかなあ」
朝からカフェテリアでゆっくりと珈琲が飲める魔術学校ってなんか幸せだよねとか思う一方、エフィサは今日のトップ記事の主役がこの場に居合わせていないコトだけが少し物足りなかった。
アンフェルの街中から学校に通うエフィサと違って、メイゼルは学校の敷地の中にある学生寮に住んでいるから、朝の食事はほとんどこのカフェテリアで取るコトになるのが自然な流れなのに。
「オハヨウ。エフィサ……」
「ああ、十文字くんおはよー」
まだ人間の言葉を覚えたてらしいリザードパーソン(「リザードマン」という総称はリザード族の女性の存在、っつーか人権を考慮してないとゆーので一昨年あたりから使用できなくなりました)の十文字十五朗くんと挨拶を軽く交わし、エフィサはまた新聞の1面に目を向ける。
っつーか、今更思ったけどなんで写真に写ってるメイゼルってば中指立ててんだ。
「……でもお寝坊さんでも素敵よねえ。中指立ててるのは解せないけど」
自分でも何言ってんだかと思いながらエフィサはカップを口元に運ぶ――
「……霊魂吸収装置としての写真機に対しては厳重にケンカ売る必要があるのです」
「うわあッ!!!????」
――早口の囁きが急に背筋を撫でたのに驚いて、エフィサは思わずそのカップを落とし掛ける。
「……って、メイゼル?」
振り向いて声の主を確認し、その名を呼ぶ。
「もーっ、イキナリ驚かさないないでよーーーっ」
「イキナリでなければ驚かせませんが何か」
正論で返された。
「……ああもぅだからメイゼルってば素敵」
エフィサは何故か納得した。